まえがき 1 |
この本を読むための基礎知識 12 |
プロローグ 京都映画散策 14 |
I |
森田富士郎『大魔神のリアリズム』 26 |
宮島正弘『大映京都撮影所はわが故郷』 31 |
岡崎宏三『たりぬたりぬは工夫がたりぬ』 36 |
高村倉太郎『撮影監督の太陽伝』 42 |
安藤庄平『浦山桐郎監督と小栗康平監督』 47 |
前田米造『クランクインの前日は眠れない』 52 |
斎藤孝雄『黒澤映画の理解者』 57 |
上田正治『最後の黒澤派』 62 |
原一民『写真家志望だった』 67 |
木村大作『ぽっぽ屋と活動屋』 72 |
川又昴『小津映画からヌーベルバーグへ』 79 |
高羽哲夫『「男はつらいよ」をつくった』 85 |
長沼六男『キャメラマンの自己主張』 91 |
兼松凞太郎『大船調の継承』 98 |
杉村博章『芝居をつかむ』 103 |
II |
河崎敏『活動屋二代』 110 |
奥村祐治『ドキュメンタリーの中にドラマを発見する』 115 |
中原正浩『斬られ役からキャメラマンに』 120 |
阪本善尚『撮影ZENSYO流』 125 |
稲垣涌三『巨匠の息子で得をしたことはない』 131 |
加藤雄大『アメリカの撮影システムで』 137 |
中村秀敏『管理職キャメラマンの悩み』 142 |
川上皓市『叛骨を秘めたキャメラ』 147 |
佐々木原保志『負けっぱなしの人生だというが』 152 |
柳島克己『ピントマンを10年やった』 157 |
藤澤順一『細部への好奇心』 162 |
芹澤明子『日本映画に女性の視線を』 168 |
浜田毅『キャメラマンは楽しいショウバイだ』 173 |
栢野直樹『インするまでのゴチャゴチャが』 178 |
柴主高秀『観客が自己投影できる映画を』 183 |
上野彰吾『世界の底流につながる日本映画を』 188 |
巨匠たちの眼 |
黒澤映画のイメージ 196 |
小津安二郎の遺産 202 |
ついに会えなかった監督 熊谷久虎 209 |
ドキュメンタリーの精神 214 |
III |
古山正『わらすっこの映像』 222 |
中堀正夫『映像の基本は暗さだ』 227 |
金徳哲『正論と叙情』 232 |
丸池納『映像に関することにはすべて口をだす』 237 |
柴崎幸三『荒涼とした現実に魅力的な人物を』 242 |
藤石修『現実の動きをまるごと捉える』 247 |
高瀬比呂氏『安全なカットではなく』 252 |
笠松則通『爆裂都市からとびだした』 257 |
佐野哲郎『段取り映画ではなく』 263 |
猪本雅三『やっとこフィルムに間に合った』 268 |
山本英夫『どのみちフィルムに自分は出てしまう』 274 |
石井浩一『大庭秀雄監督の一言が』 279 |
IV |
一之瀬正史『共生を模索するキャメラ』 286 |
清水良雄『キャメラマンだって泣く』 292 |
益子広司『テレビドキュメンタリーの可能性』 298 |
野口篤太郎『山男のキャメラマン』 304 |
葛城哲郎『キャメラはキャメラマンの認識の道具である』 309 |
中野英世『イメージ・ドキュメンタリー』 314 |
松島孝助『映画とCMの枠を超えて』 319 |
シグママコト『CMキャメラマンの挑戦』 324 |
服部康夫『事実と美学の間でゆれうごく』 329 |
辻智彦『ドキュメンタリーは人間のドラマである』 334 |
エピローグ キャメラマンと監督 339 |
あとがき 348 |