吉本隆明が語る戦後55年 「第6回」 政治と文学をめぐって 4 |
新日本文学会の総括と評価の仕方に感じた疑問 |
文学を政治性や思想性で評価するのは間違っているという結論に達した |
文学作品を主題で評価する考え方との決着をつける |
「記録芸術の会」をつくった花田清輝の意図と排除の論理 |
「記録主義」として極限までいった「ゆきゆきて神軍」は人倫に反している |
政治と文学というテーマは六〇年前後にケリがついた |
日本近代詩のなかではじめて「思想詩」をつくりだした「荒地」グループ |
「詩文化」への投稿と「聖家族」同人への参加 |
高村光太郎と戦中の詩人たちが語る日本近代の座礁 |
「戦争責任論」と文学の有効性・無効性の問題 |
レーニン、トロツキーの文学観とロシア・フォルマリズムから得られたもの |
作者と作品を極端に切り離せないのは作者の内面の倫理に問題があるからだ |
書く言葉には殺傷能力があるという実感 |
社会主義リアリズム批判から「言語にとって美とはなにか」へ |
「空虚としての主題」で「広場に出よう」と思った転換 |
吉本隆明が語る戦後55年 「第7回」 心的現象・歴史・民族 42 |
関係論は空間論で了解論は時間論だと考える |
生理的身体とイメージとしての身体の二重性 |
身障者の社会的、個人的生き方の極限とは何かを考える |
生理的身体性と心的身体性=身体図式との関わりをどう解いていくか |
個人幻想と共同幻想の関わりを宗教の問題として提起できないか |
受胎以降の胎児の心理的な動きも心の問題の考察範囲に入れなくてはならない |
普遍的は言語と普遍的な文化・文明を民族語の場所から突っ込んでいくという課題 |
ラカン、フロイト、ビンスワンガーと「心的現象論」との対応づけ |
個人幻想の集合が共同幻想なのではない |
心的現象とは内臓器官が主として関与する心の動きである |
原始未開の状態から人類を考える方法と現在から未来を考える方法は同じでなくてはならない |
天皇制がつくり出した歴史的国家を相対化し得る根拠をもつ琉球語とアイヌ語 |
原始的段階まで遡って考えられている柳田国男の「常民」という概念 |
未開・原始の問題を含めて並列的に展開できなければ現在の共同幻想論とは言えない |
解体する作業に熱中していて集中する意志の決定ができていなかった反省 |
自然史的に実現されていくことと人間が意志で実現することとの違いをどう考えるか |
吉本思想と戦後思想批判 松本健一 89 |
「連載」 独立左翼論 5 三上 治 114 |
「現在への発言」 国家が開かれようとしている 吉本隆明+山本哲士 137 |
吉本隆明が語る戦後55年 「第6回」 政治と文学をめぐって 4 |
新日本文学会の総括と評価の仕方に感じた疑問 |
文学を政治性や思想性で評価するのは間違っているという結論に達した |
文学作品を主題で評価する考え方との決着をつける |
「記録芸術の会」をつくった花田清輝の意図と排除の論理 |
「記録主義」として極限までいった「ゆきゆきて神軍」は人倫に反している |