序章 |
本書の目的と課題 013 |
一 松村正恒の生い立ちを整理する 016 |
二 松村正恒の八幡浜市役所時代の建築作品の変遷を整理し、その設計プロセスを分析する 016 |
三 松村と外部世界との関係を明らかにする 016 |
四 八幡浜市役所時代の松村正恒の建築を通してモダニズム建築の意味を再考する 017 |
既往研究との関係 017 |
本書の構成と要旨 021 |
第一章 松村正恒の原風景 |
一・一 誕生から大洲時代まで 026 |
複雑な出自 026 |
大洲中学校入学 028 |
一・二 東京での学生生活 032 |
武蔵高等工科学校入学 032 |
武蔵高等工科学校の概要 033 |
武蔵高等工科学校での友人関係 042 |
蔵田周忠との出会い 045 |
学外でのさまざまな出会い 049 |
一 新建築工芸学院 050 |
二 児童問題 051 |
三 今和次郎 051 |
卒業計画 054 |
一・三 土浦亀城建築設計事務所時代 056 |
土浦事務所へ 056 |
土浦事務所時代の生活 058 |
土浦事務所での仕事 061 |
一 長谷川三郎邸 063 |
二 竹原邸 067 |
三 田宮氏邸 068 |
四 強羅ホテル 071 |
五 満州へ 075 |
土浦事務所辞職 083 |
土浦事務所外での学習活動 088 |
一 語学の学習と翻訳 088 |
二 保育問題研究会など 089 |
三 「特集・新託児所建築」 093 |
四 満州でのノート 102 |
一・四 農地開発営団時代 108 |
農地開発営団へ 108 |
新潟へ 110 |
一・五 まとめ 114 |
第二章 八幡浜市役所における建築設計活動 |
二・一 八幡浜市役所での設計活動の背景と作品リスト 120 |
八幡浜市役所へ 120 |
新学制下の教育 121 |
八幡浜市長・菊池清治との関係 122 |
八幡浜市役所での日常 125 |
二・二 八幡浜市役所時代の作品リストと分析方法 126 |
作品リストの作成 126 |
分析方法 128 |
二・三 第一期-旧来のシステム内での抵抗 134 |
愛宕中学校 134 |
一 建築の概要 134 |
二 保守的学校観との戦いと「ひろいもの」 136 |
神山公民館 142 |
建築の概要 142 |
松蔭小学校 145 |
一 建築の概要 145 |
二 「外廊下」への着目と両面採光への萌芽 149 |
三 保守的学校観へのヴォイドな解答 150 |
白浜小学校増築工事 152 |
建築の概要 152 |
神山小学校計画案 154 |
一 実現されなかったスケッチと実施設計図 154 |
二 「規格に近い学校」 154 |
八代中学校 161 |
一 建築の概要 161 |
二 継続する保守的学校観との戦い 165 |
三 建築的論理の内部における展開へ 166 |
川之内小学校 170 |
一 建築の概要 170 |
二 両面採光というテーマの発見 174 |
三 水平連続窓という美学への予兆 174 |
二・四 第二期-新しい建築的ヴォキャブラリーの実験と習得 175 |
八幡浜市立図書館 175 |
一 建築の概要 175 |
二 新たな建築的ヴォキャブラリーの出現 178 |
二-一 平滑な外壁と勾配屋根 |
二-二 水平性の強調 |
二-三 環境工学的な配慮 |
二-四 構造の明快性 |
二-五 階段まわりの細やかなデザイン |
二-六 ガラススクリーンによる空間の連続性の確保 |
二-七 外部との接続 |
二-八 柔らかなディテール |
二-九 設計対象の広さ |
松柏中学校 190 |
一 建築の概要 190 |
二 新しい学校の試作 191 |
舌田小学校改修工事 195 |
一 建築の概要 195 |
二 構造補強と採光 198 |
市立八幡浜総合病院東病棟 199 |
一 市立八幡浜総合病院の概要 199 |
二 建築の概要 199 |
三 新しいヴォキャブラリーの噴出 204 |
三-一 重装備の外装 |
三-二 全体性をもつ構造 |
三-三 細やかなデイテール群 |
長谷小学校 215 |
一 建築の概要 215 |
二 学校建築としての革新の開始 219 |
二-一 光を制御する断面 |
二-二 フレキシブルな空間 |
魚市場増築工事 223 |
建築の概要 223 |
市立八幡浜総合病院結核病棟 225 |
一 建築の概要 225 |
二 生活像の空間化へ 233 |
二-一 外装の軽装化 |
二-二 細やかな場のしつらえ |
二-三 色彩による生活像の提示 |
八代中学校増築工事 242 |
建築の概要 242 |
江戸岡小学校 243 |
一 建築の概要 243 |
二 「両面採光の決定版」としての教室棟 245 |
三 〈局所的な対称性と全体的な非対称性〉という手法 253 |
四 教室の基本形の定式化 254 |
五 手作りのテクノロジー 256 |
六 第二期のヴォキャブラリーや形態操作の結晶 258 |
国体施設 258 |
市立八幡浜総合病院給食棟 259 |
一 建築の概要 259 |
二 同一断面の中の多様な展開 260 |
市立八幡浜総合病院伝染病棟 262 |
一 建築の概要 262 |
二 第三期への萌芽 266 |
二-一 ハイブリッドな構造という美学の発見 |
二-二 新たな空間の質感の獲得 |
新谷保育所 275 |
一 建築の概要 275 |
二 小さな応用と実験 278 |
二・五 第三期-松村スタイルの完成 281 |
新谷中学校 281 |
一 建築の概要 281 |
二 「本邦の最高峯」の学校 286 |
二-一 「クラスタープラン」の実践 |
二-二 豊かな特別教室 |
二-三 多機能な外部空間 |
二-四 細部まで考え抜かれた平面計画 |
三 断面の微細な進化 299 |
四 松村と「クラスタープラン」の関係 302 |
五 当時の東京大学吉武研究室の状況 305 |
市立八幡浜総合病院看護婦寄宿舎 308 |
一 建築の概要 308 |
二 抽象性の破片 308 |
二-一 形態操作への指向性 |
二-二 生活像の空間化の小さな実験 |
川上公民館 314 |
一 建築の概要 314 |
二 コンクリート造への戸惑い 316 |
江戸岡小学校特別教室棟 316 |
一 建築の概要 316 |
二 華やかな空間の実践 317 |
三 ハイブリッドな構造の登場 328 |
尾の花保育園 330 |
一 建築の概要 330 |
二 小さな工夫 330 |
日土小学校 334 |
一 全体の概要 334 |
二 中校舎の建築概要 335 |
二-一 一階の構成 |
二-二 階段 |
二-三 二階の構成 |
二-四 川側の外部階段とテラス |
二-五 断面構成 |
三 束校舎の建築概要 342 |
三-一 進化したクラスター型教室配置 |
三-二 居場所としての階段 |
三-三 川と一体になった図書室 |
三-四 外部階段とテラス |
三-五 技術の手工業化 |
四 日土小学校のメデイアヘの登場 378 |
四-一 松村自身による評 |
四-二 内田祥哉による評 |
五 完成形としての日土小学校 383 |
市立八幡浜総合病院結核病棟増築棟 384 |
一 建築の概要 384 |
二 大きなスケールあるいは華やかさの凝縮 386 |
川上中学校増築工事 396 |
建築の概要 397 |
真穴中学校増築工事 398 |
建築の概要 398 |
中津川公民館 400 |
一 建築の概要 400 |
二 即興的コラージュ 401 |
二-一 〈局所的な対称性と全体的な非対称性〉の実践 |
二-二 両面採光の転用 |
二-三 空間のフレキシビリティ |
江戸岡小学校便所増築工事 406 |
建築の概要 406 |
神山小学校 408 |
一 建築の概要 408 |
二 建築計画的分析と実践 415 |
三 外部からの評価 421 |
狩江小学校 422 |
一 建築の概要 422 |
二 「オープンスクールのはしり」としての平面計画 425 |
二-一 「流れるように子供が動く」動線計画 |
二-二 クラスター型教室配置の定着 |
二-三 高低分離の実現 |
二-四 生涯教育の場としての特別教室群 |
三 ハイブリッドな構造の定着 436 |
四 狩江小学校を巡るふたつのエピソード 437 |
四-一 「新校舎ができるまで」 |
四-二 「さようなら木造校舎の集い」 |
市立八幡浜総合病院本館 456 |
一 建築の概要 456 |
二 評価の分離 459 |
白浜小学校 463 |
一 建築の概要 463 |
二 未消化に終わったコンクリート造 464 |
二・六 八幡浜市役所時代の建築作品の変遷のメカニズム 470 |
三つの時期による展開 470 |
学校建築における自己参照的メカニズムによるデザインの展開 473 |
病院関連施設における自己参照的メカニズムによるデザインの展開 478 |
木造のハイブリッド化という武器 481 |
抽象化の拒否 482 |
第三章 八幡浜市役所時代の外部世界との関係 |
三・一 蔵田周忠との関係 488 |
松村作品の建築雑誌への紹介 489 |
蔵田と松村の再会 502 |
「生活空間の創造」の翻訳を巡って 508 |
「生活空間の創造」のその後の顛末 514 |
「文蕊春秋」の「建築家ベストテン-日本の十人」を巡って 517 |
蔵田周忠の最晩年との並走 522 |
まとめ 527 |
三・二 内田祥哉および建築計画研究者との関係 529 |
内田祥哉による新谷中学校の発見 529 |
内田祥哉による松村建築見学 536 |
「建築年鑑」への掲載および「建築家ベストテン」 540 |
桧山吉平とのやりとりと「日本建築学会設計計画パンフレット」への掲載 543 |
まとめ 546 |
三・三 彰国社の編集者との関係 548 |
金春国雄からの手紙 548 |
清水英男からの手紙 550 |
まとめ 556 |
三・四 「建築家ベストテン-日本の十人」について 557 |
選考の経過 557 |
選考結果からわかること 562 |
地元紙での反響 563 |
三・五 川添登による評価について 569 |
川添登と松村正恒とのさまざまな接点 569 |
「建築家ベストテン-日本の十人」について 574 |
「地方作家の第一人者・松村正恒」 575 |
まとめ 578 |
三・六 神代雄一郎による評価について 579 |
神代雄一郎の八幡浜訪問と「建築家は地方で何をしたか」 579 |
「世界建築全集」への掲載 585 |
「対談 風土と建築」 587 |
まとめ 589 |
三・七 土浦事務所の人々との関係について 590 |
温土会からの寄せ書き 591 |
三・八 八幡浜市役所時代の松村正恒と外部世界との関係 600 |
媒介者としての蔵田周忠 600 |
空間の計画性という視点から松村を評価した内田祥哉 601 |
松村の過去の社会性による評価を示した川添登 602 |
松村の活動とデザインに地方性という意味を付与した神代雄一郎 603 |
松村の特異性を浮かび上がらせた「建築家ペストテン-日本の十人」 603 |
土浦事務所の記憶とのトラウマティックな関係 604 |
参照対象としての外部世界の不在 604 |
結論 |
自己参照的メカニズムによるデザインの展開 609 |
建築の意味が確定することの拒否 610 |
価値観を明示した総体的建築の提示 612 |
モダニズム建築への逆照射 614 |
一 戦前期との連続性の上に成立したもうひとつのモダニズム建築 615 |
二 思い描く世界を提示する装置としてのモダニズム建築 616 |
補遺 |
独立後の松村正恒の設計活動について 621 |
日土小学校の色彩および特殊な仕上げについて 629 |
註 638 |
松村正恒についての主要関連文献 642 |
あとがき 648 |
序章 |
本書の目的と課題 013 |
一 松村正恒の生い立ちを整理する 016 |
二 松村正恒の八幡浜市役所時代の建築作品の変遷を整理し、その設計プロセスを分析する 016 |
三 松村と外部世界との関係を明らかにする 016 |
四 八幡浜市役所時代の松村正恒の建築を通してモダニズム建築の意味を再考する 017 |