はじめに |
第1章 東京大学物理学教室の雰囲気 1 |
挑戦者たち |
ざっくばらんな会話 |
歯に衣着せぬ議論 |
交流のネットワーク |
生物と物理の国境に立つ |
足を引っ張られる |
サイエンスに“はずはない”はない |
広大な活躍の場-無限にある成功のチャンス |
生物と物理を隔てる壁-寺田寅彦と中谷字吉郎の視点 |
物理から生命にチャレンジする三つのタイプ |
励まし-その絶大なる効果 |
一流人物の共通項 |
第2章 化学から物理への越境とハーバード大学 33 |
化学教室に培われていた物理学への流れ |
卒業研究の頃-森野先生の思い出 |
新しいチャレンジへの模索 |
知の舞台-ハーバード大学 |
研究生活 |
アメリカから帰る |
お茶の水女子大学理学部化学教室 |
第3章 生物物理学の展開 65 |
生物物理学事始め |
学会設立にあたって |
生物の特徴と“枚挙” |
日本生物物理学会と国際生物物理学連盟の発足 |
東大物理学教室へ-生物物理研究室の建設 |
物理による生命研究とは? |
生物物理グループの強化に向けて |
DNAとタンパク質の精密計測 |
物質と生命をつなぐパズル |
第4章 分子に見られる生命と物質の境 95 |
生体高分子の情報とは構造要素の配列秩序 |
立体構造の秩序-タンパク質の一重ラセンとDNAの二重ラセン |
私の生命観と研究目標 |
化学教室で、分子の変形とは何かの研究を始める |
高分子の形態変化-ラセン・コイル転移 |
鉄のカーテンを越える共同研究 |
“ある特定の情報”はどのように書き込まれたか? |
さらなる発展に向けて |
未踏の高峰-脳と心 |
生命、そして、自然の理解はまだ序の口 |
第5章 DNAの高速自動解読 131 |
日本の“お家芸”を生かそう! |
二一世紀を予言する |
レフェリーとの格闘 |
「ウェットウェア」という新しい概念 |
DNA研究の国家プロジェクト |
生かされなかった独創の「二つの芽」 |
「飛ぶ鳥」を撃てない日本 |
国際プロジェクト化への努力と挫折 |
立ち遅れた日本の解読分担率は六% |
「小柴カミオカンデ」と「和田DNA」の違い-衆議院での証言 |
反省の書「ゲノム敗北」と「ネイチャー」による書評 |
第6章 生命と物質を俯瞰するサイエンスに向けて-HFSPを例として 163 |
サイエンスの総合化に向けての努力 |
日本発の国際研究助成 |
機構-HFSP |
アメリカの疑心暗鬼 |
「和田 vs ゴワンズ」 |
論争 |
基本理念を正面切って発信すれば、世界は必ず正しい |
評価を与える |
自然を俯瞰する「時空計算尺“ガリバー”」の発明 |
第7章 理研ゲノム科学総合研究センター-「生命生存の智恵と戦略」の探究 181 |
「予言力」が高まった生命科学-先見性の勝利 |
理研ゲノム研究センターの発足 |
研究のための環境と体制 |
ユニークな運営と評価システム |
「生命生存の智恵と戦略」の解明 |
科学の発展パターンと今後の科学研究に望むこと |
四本のシンボル・ツリーと二三〇年ぶりの里帰り標本 |
第8章 自然探求、研究者人生へのいざない 203 |
大局的判断 |
家庭のなかの“理工系の雰囲気” |
「お前は苦労が足りない」 |
思い出すいろいろなこと |
博物学と理学・工学のフレーバー |
門前の小僧習わぬ経を読む |
旧制高等科理科-カルチャーショック・昭和二一年 |
おわりに 231 |
参考資料 |
コラム |
僕は物理学教室に恩義を感じている 小柴昌俊 4 |
物理学教室が持つリベラルな雰囲気 伏見 譲 7 |
“異分野のるつぼ”だった物理学教室 有馬朗人 13 |
和田さんの“降格人事?” 有馬朗人 81 |
サロンと生物物理セミナー 伏見 譲 87 |
多眼・複眼・独創眼 陶山 明 117 |
先読みする力、先読みしすぎの難点 大島泰郎 137 |
DNA同窓会 浜岡 勤 143 |
HFSPの基本哲学の防衛 有本建男 171 |
日本のチャレンジHFSP 永山國昭 173 |
正当性を主張する喧嘩 大島泰郎 175 |
貴重なアドバイス 林崎良英 189 |
Omic Spaceの構想 横山茂之 191 |
広い視点に立つこと 曽田邦嗣 197 |