プロローグ 交換可能でない「私」 7 |
人間はみんな「使い捨て」なのか |
「透明人間」化する日本人 |
ある時自分の交換可能性に気づいてしまう |
「勝ち組・負け組」は平等な競争の結果なのか |
「信頼の崩壊」 |
第一章 ダライ・ラマの愛と思いやり 25 |
人はなぜ集まりたがるのか |
「利己的利益」を増大する社会 |
「生老病死」は誰にでも起こる |
タライ・ラマが説く智慧と慈悲 |
愛情深い親子関係から学ぶ「愛と思いやり」 |
仏教も「競争」 |
二つの怒り |
人物ではなくシステムに怒る、実は仏教とはシステム的思考法 |
自分も社会も変える |
第二章 私たちは使い捨てじゃない 55 |
日本社会の崩壊の原因 |
びくびくとした社会 |
追放というイエローカード、レッドカード |
「心理主義」のまやかし、癒しの個人化 |
「本当の私」より「場」を読む私か? |
この職場は世界の中でどういう場所として位置しているのか |
一人ひとりが尊重されているかという視点 |
第三章 評価が、生きることの最終目標か 83 |
「人の目」を気にする文化 |
評価をうまくつかうか、悪くつかうか |
いい評価を得れば最終目標達成か |
「死んだ」成績でいいのか |
私も情けない行動の権化だった |
湧き上がる「何かしてあげたい」という思い |
私たちが社会的動物であることを取り戻す |
団塊の世代への提言 |
子ども時代に戻り、自分への信頼を作り直す |
第四章 ネガティブなことに大きな価値がある 115 |
苦しんだり挫折したりの経験の重要さ |
ネガティブを排除する社会 |
「明るくてエネルギーがない」の増加 |
世間的ポジティブ |
胸の大きい女性、美人が持つ疑念 |
オートマチックな選択は交換可能な選択 |
神様が「落ちろ!」と準備した穴 |
無頼派の父と演出家の卵の母 |
バイタリティー溢れる母との結束、そして思春期の暗い影 |
母への愛憎の噴出 |
自分自身の否定という悪循環 |
母の「家族解散宣言」とニューヨーク移住 |
「お勉強」と「学問」の違いに気づく |
展望が開けない、信頼できる友人もいない |
政治運動にも心が傷つく |
本気で話せば本気で聞いてくれる仲間がいる |
人間には「存在感」というレベルがある |
「ノイローゼの若者」はどこに行ったの? |
インドで全身全霊で叫ぶ |
裸の自分と出会う |
日本では何かが空回り |
訪れた場所にエネルギーがあるわけではない |
どうやったら元気になれるのか |
「人生は衝突だあ~」 |
幼少時の異常な体験 |
「虐待」と思いつきもしなかった |
トラウマを客観視し乗り越える |
父の不在が私の人生を生み出した |
人生には大なり小なり「へン」がある |
人生の宝物 |
第五章 愛されるより愛する人になる 211 |
「愛と思いやりに満ちた社会」へ |
人間は「希望」を持たなければ生きていけない存在 |
未来への希望を失っている原因 |
行動の積み重ねが自信になる |
「愛されたい人」ばかりが増えている日本 |
ブータン国のテーマは「国民総幸福量」 |
お金や物質ではない価値 |
愛すること、それは自己を確立すること |
自分自身に対する思いやりを |
あとがき 240 |